※2021年1月22日時点で現在進行形で続くツアー中ですが、この投稿はネタバレを含む表現が多数出てきますので、読む際はご留意いただければ幸いです。ネタバレ注意!閲覧は任意で!お願いします。
「歌う場所が奪われて、自分の存在意義が否定されてしまったような、生きている意味なんてないんじゃないかって思ってしまうようなときもあった」
「音楽ってみんなの生活には必要のないものなのかもしれない。そんな風に考えてしまうこともあった」
2020年12月16日。結城市民文化センターで行われたスキマスイッチ TOUR 2020-2021 “Smoothie”の初日公演で、ひとつひとつ言葉を選びながらゆっくりとこのような言葉を語ったボーカルの大橋卓弥さん。
率直に言うと、この言葉にわたしは大きなショックを受けてしまった。
そしてわたしは、ただ自身の座席から、声をあげることすら許されず、肩を震わせ涙を流すことしかできなかった。
現役のミュージシャンからこんな言葉を聞く日が来るなんて、誰が予想していただろうか。音楽を愛し、歌の神様にも愛され、共に音楽を紡ぎ演奏する仲間にも恵まれた彼が、なぜこのような苦悩を抱えなくてはならないのだろうか。
わたしは、この瞬間に改めて未知のウイルスの存在を恨んだ。そして、今回のツアーを行うことの意義を痛感した。
スキマスイッチ TOUR 2020-2021 “Smoothie”は、コロナ禍の中、スキマスイッチが「今だからこそ聴いてもらいたいスペシャルなセットリスト」を届けるツアー。バラード、ミディアムテンポの楽曲を中心に構成されたセットリストは、平時のライブのように立ち上がり歓声をあげることができなくとも、聴覚と視覚と声の代わりとなるクラップをフルに活用して盛り上がることができるセットリストとなっていた。
ツアータイトル”Smoothie”には、ふたつの意味が込められているとスキマスイッチのふたりはライブの中で説明した。
ひとつめの意味は「”Smooth music(心地良い音楽)”を届けたい」というもの。そしてふたつめは、「飲み物のスムージーのように、僕たちの音楽を身体に取り入れることで生きる力や元気を与えることができたら」という想いから来ているそうだ。
目には見えなくとも、音楽の持つ力を信じ、自分たちが足を運んで直接ステージからそれを伝えようとする。これまでもふたりで力を合わせて逆境や苦境を乗り越えてきた彼らだからこそ、いまできることをひとつずつ重ねながら前進しようとするのだと、ステージを見ていたら合点がいった。
座席位置ごとの規制入場を経て着席し、ステージを見渡す。見慣れた位置に置かれた楽器。いつもよりも簡素……というよりも、ステージ上に楽器以外のセットはほぼ存在しない。これまでのスキマスイッチのツアーは、会場に入りセットを見た時点でこれから始まるライブの世界観を察することができたが、今回はまったく想像がつかない。一体どのようなライブが始まるのだろうかと、そわそわしながら待っていた。
ほぼ定刻通りの時間に照明が暗くなり、ステージの後ろに投影されたツアータイトル「Smoothie」の文字。そして、静寂が漂うステージ上に出てきたのは鍵盤の常田真太郎さんひとりだけ。静寂を一挙に背負って彼が奏で始めたのは、聴いたことのないオリジナルのインスト曲だった。
切ない音とともに彼のもとにひと筋の光が伸び、音と光とシンプルな演出の中で物語が展開されていく。段々と音が切なさから優しさへと変わり、音色が増えると同時にバンドメンバー、そして卓弥さんがステージ上へ現れる。
マイクスタンドに手をかけ、最後の音を奏でるしんたさんを一瞥した後に卓弥さんが歌い始めたのは、「ボクノート」だった。
この瞬間、わたしは自身が初めてスキマスイッチのライブに足を運んだツアー「空創トリップ」の光景がフラッシュバックした。
なぜだろう。このときは疑問でしかなかったが、この瞬間に抱いた疑問はライブが展開されていくにつれて、どんどんと答え合わせがされていくこととなる。
「今僕の中にある言葉のカケラ
喉の奥 鋭く尖って突き刺さる
キレイじゃなくたって
少しずつだっていいんだ
この痛みをただ形にするんだ」
2020年2月28日。有観客ライブを行うことができなくなったスキマスイッチが、その日にライブをやるはずだった土地・熊本で無観客ライブを行ったときにも演奏されていたこの曲。あの日は本来足を運ぶはずであったライブに行くことが叶わず、悔しさとむなしさがないまぜになった複雑な表情で画面を見ていた。
その曲がいま目の前で演奏されている。その現実をなかなか飲み込むことができなかったが、この歌詞を口ずさむ卓弥さんが優しく微笑んだ瞬間にわたしの視界が歪んだ。
「僕がいるこの場所は 少し窮屈だけど
愛に満ちた表情でぬくもり溢れて
そして君の声がする」
10ヶ月近くのときを経て、スキマスイッチが設けることができた「いつもの場所」。50%収容のため隣の席に人はおらず、彼らに声援を送ることだってできない。それでも「君の声がする」のフレーズで眼前に広がる光景を見つめながら、彼の胸には何かが届いていたのだろうか。着席してるがゆえにいつもよりも視界に飛び込んでくるステージ上にいる人々の一挙一動を目に焼き付けながら、そんなことを考えてしまった。
ちなみに、1曲目は日替わり曲となっており、もう1曲は「ハナツ」となっている。導入の楽曲が変わるだけでステージの印象も少し変化するように感じられるが、どちらの曲にも共通するのは、(観客の)声が耳に飛び込んでくる情景を歌っていること。在りし日には当たり前だった描写をいまあえて歌うことで、物理的には声を届けられなくても「聞こえているよ」と、先んじてスキマスイッチの2人からそう伝えてくれているようにも感じられた。
「そう 周りを見渡したら いつもの笑顔があって
行くぞ!って 大声で 僕の名を 呼んでいる
奥歯を噛んでグッと踏み込んで」
2曲目に演奏されたのは「LとR」。この楽曲で思わず唸ってしまったのは、照明演出だ。
「器用なのは君の方で」という歌詞でしんたさんがいる上手側に赤い光が、そして「不器用は僕の方だ」を歌うタイミングで卓弥さんがいる下手側に青色の光が当たる。そして、その後の「確かにその通りなんだけれど」で2色の光が合わさり、ステージ全体が”Smoothie”ツアーのテーマカラー紫色に染まった。
これだけでも驚いてしまったのだが、歌詞に合わせた光の演出を用いて今回のツアーの世界観を目に焼き付けさせた上に、この楽曲の後半で歌われるのはこのフレーズだ。
「自分の色のスペクトルは 案外すぐ側にあるんだ」
視覚と聴覚と、両サイドから殴られた気分。2曲目までで深読みをしすぎて、勝手に乗り物酔いみたいな気分になってしまった。結論から言うと、ここからもずっとジェットコースターみたいな気分は続くのだけれど。
3曲目は「思い出クロール」。
「積もる話をそれぞれが持ち寄って」
「ここでは何だってあの頃のまま」
「あぁ 全部忘れて いいじゃない 今日くらい 思い出の 中をクロール」
「あえて 言葉にはしない みんなで 笑えば それこそが 僕らのエール」
軽快なテンポに乗せながら、「言葉にしない」と言いながらも歌を通して伝えてくるその想いに、手拍子でしか応えることができないのがなんだかもどかしかった。
ここでやっとほんの少しのMCが挟まった。いつものように「どうもスキマスイッチです!」という挨拶に始まり、ツアータイトルを紹介したり、そこに込めた意味を話したり、少し他愛もない話をして「ここそんなに喋るところじゃなかったはずなんだけどな?」と冷静なしんたさんからツッコミを受けて卓弥さんが笑ったり。
観客側のいつもと違う状況は理解しながらも、ステージ上は努めていつも通りに振る舞う。そんなことを意識的に行っているようにも感じられた。
そんなゆるいMCから一転して演奏されたのは、まさにSmooth musicなアレンジがほどこされた「願い言」。ちょっとmusiumツアーのアレンジの名残がありながらもよりjazzyに、あの頃よりも年齢を重ねた主人公がそこには見えたような気がした。
「君がここにいてくれさえすれば
ただそれだけでいいんだよ」
壮大な愛を歌ったかと思えば、次のナンバーは軽やかなリズムに乗せた「life×life×life」。リズムとは裏腹に、耳に入り込んでくる歌詞が過去に描かれたものとは思えぬほどに彼らのいまの行動を示しているようにわたしには聴こえてしまった。
「想像は遥か 現実は不確か
何もしないよりは ちょっとでも飛んでみた方がいい」
「Try・cry・Try、それくらいが僕らしいんじゃない」
個人的に今回のツアーの中で一番好きだったポイントは、ここから演奏される「Revival」と「マリンスノウ」の一連の流れ。スキマスイッチお得意のアレンジし過ぎてイントロだけじゃ何の曲が始まるかわからないわくわくそわそわする時間は、ここで訪れた。
原曲の世界観は残しつつも、リズム隊の刻む裏拍が気持ち良い、そんなアレンジ。個人的には、ベース種子田健さんのサビの思わぬところで入れるスラップの音がたまらず…🤦♀️サビに少しハネる瞬間が生まれるのはあの音あってこそだと思ったので、細やかな技ひとつひとつにも意味があるんだなぁと唸ってしまった。
この曲はそういえば、熊本の無観客ライブでも、2020年6月の有料配信ライブ「LIVE “a la carte”」でも演奏された曲。
「時が解決してくれるとよく耳にするけれど
でも 解決が忘れることなら 僕はそれを望んじゃいない」
彼らはやっぱりこのセットリストで何かを伝えようとしてくれているのだろうか。恐らくこのあたりがライブの中盤戦に差し掛かるぐらいなはず、と察し始めたこのタイミングで、そんなことを思い始めるようになった。
「Revival」が終わるタイミングでそのまま音がつながり、客席に拍手を与える間もなくキーボード浦清英さんが気がつけばわたしたちを海の中へと連れていく。音の変化とともに、背景に投影された映像が表現する景色もどんどん色濃いブルーとなっていき、ここはまるで深海。「あっ…」と気がついた頃には一瞬暗転し、しんたさんの鍵盤が「マリンスノウ」のイントロを奏で始めた。
先ほど演奏した「Revival」とまるで対比関係にあるかのように、原曲に極めて忠実に演奏される「マリンスノウ」。わたしの中にはどうしても、「W-ARENA」のときにしんたさんが卓弥さんに背を向けながら鍵盤を弾く様子が浮かんでしまった。
あれ、さっきもこんな体験したような…?気のせいかな。って思いながらも、全身で音を受け止める。
「君のこと 空気みたいだと思ってた 失くしたら息苦しくて」
「君のいない海を逃れようとしたけど 想い出の重さで泳げない」
「世界が今断ち切られて 藻掻けば絡まり 絶望に染まっていく
僕がもっと君の瞳を見ていられたなら…
誰もいない闇は記憶だけ残して 僕から全てを奪っていく」
眼前に広がる深海の風景は、ラスサビになると少し青の濃度が薄まっていく。ただただ悲しい楽曲の唯一の救いは、この演出にあったと思う。そして、このツアーで行われている演出表現が「ライブ」な空間で行われているにもかかわらず、「ライブ」だけのためでないことに、この瞬間に気がついた。
「マリンスノウ」の演奏中、スキマスイッチのふたりも含めたステージ全景が海の世界に染まることが何度となくあった。この演出手法は、ライブ会場で肉眼で観る側からすると演奏しているミュージシャンたちの顔や挙動は影としてしか見えず、そして角度によってはこの世界で表現されている風景もぼんやりとして見えづらくなってしまう可能性もある。
でもこの演出、現時点で映像化されているTBSチャンネルの「”Smoothie” on Christmas Night」を観るととても鮮明に深海の世界観が表現され、とても立体的に見えるようになっている。
このツアー、「ライブ」で行われていることは間違いないけれど「映像作品」として完結するツアーになっているのだ、恐らく。
もっと言うと、今回のツアーで多用されているプロジェクターを用いた投影技法は、アリーナやスタジアムなどステージ高がある会場であればオールスタンディングなライブでも活用できるが、ホールのステージ高だとフロントマンの足先まで投影することを実現するのは難しいもの。観客がスタンディングする普段のスキマスイッチのライブのスタイルだと、実現するのはなかなか難しい演出なのだ(多分。きっと…)。
観客が距離を保たなければならない、安全性を確保するためには全編スタンディングなライブにするわけにはいかない。以前とは異なる様式で、ともすればマイナスとも捉えられる要素の中から「いましかできないこと」というプラスの側面を抽出し、演出に落とし込む。そんな姿勢に驚くばかりで、わたしはこの曲に視覚と聴覚の両側面から強烈な記憶を刻まれてしまった。
音が止み、ステージが暗転すると同時に客席から拍手が湧き上がる。鳴り止む気配のない拍手は、まるで打ち返す波のようでもあり、そんな波を受けた卓弥さんは深々と客席に向けお辞儀をする。
ステージが明るくなり、感謝の気持ちを述べながらも、だんだんと厳かだった雰囲気からさざ波以上にゆるいMCへと進んでいく。
わたしが行った公演では、大体ここで
(。•ˇ‸ˇ•。)ここまでの流れがぎゅっ!と濃縮されてて、ぼくとしんたくんで一生懸命流れを考えたところだから当然なんですけど、なんでこんなしたんだ?
みたいに自分で自分の行動を悔いていたり
(。•ˇ‸ˇ•。)体力が持たん
と自分の体力を憂いていたり。
「さっきまでの感動を返して!」と思わず言いたくもなってしまうが、これはこれでスキマスイッチらしさが満載で、ひさしぶりのこの感覚にマスクの下で思わず口角が上がってる自分に気付いたりもした(そしてマスクで隠れててよかったと思うなど…)。
ひとしきり喋って
(。•ˇ‸ˇ•。)新曲やるかぁ!
と言って披露されたのは、テレビ朝日「アニマルエレジー」のテーマソングとなっている「吠えろ!」。
テレビでは歌い出しからAメロの本当に導入の部分までしか流れていないため、イントロでは何の曲がわからず、「Hey!ブラザー&シスター」というフレーズとともに答え合わせに入るこの曲。歌声とともに目に飛び込んでくるのは、卓弥さん直筆の文字にアニメーションが施された歌詞。流れるように現れては消える言葉もあれば、勢いよく飛び込んでくる言葉もあったが、彼の性格を表したかのような朗らかでのびのびとしながらもほんの少しの憂いや儚さが垣間見られる書体によって、紡がれる歌が、言葉がいつも以上に脳裏に焼きついていく。
特にフルコーラスを初めて聴いた結城公演のその瞬間に、頭を殴られたかのような感覚に陥ってしまったフレーズがある。それはこんな言葉の塊だった。
「ライフ・イズ・イバラの道 ケモノ道
泣いてるひまはねえぞ
吠えろ!」
2020年、数々の苦境を乗り越え…いや、現在進行形で乗り越えながらもいまやっとの思いでステージに立っているふたり。
バンドメンバーだってそう、板の上にはいなくともスタッフたちも含め、チームスキマ全員がライブ興行が完全にストップしてしまったおよそ半年間ほどを踏ん張ることができたからこそこのステージは実現できているのだ。
これまでだって困難に直面しても、都度自分たちなりの答えを出して前に進んできたスキマスイッチが歌う「人生」とは、不惑を越えたからこそ描ける世界はこういうものなのだと、見せられたような気持ちになった。彼らが教えてくれた新しい世界、これから追いかけて歳を重ねる身としては、わくわく感すら感じてしまった。
泣かないで吠える。想像通りの未来にならなくても、こんなメロディーを口ずさんで前に進む。
またひとつ、彼らから「生きること」について教わってしまったな、と思ったりもした。
ちなみに、結城公演の日からずっと気になっていたアウトロでフェイクを入れる卓弥さんの後ろでコーラスするしんたさんとギター石成正人さん、パーカッション松本智也さんの歌う英語と思われるフレーズ。中野公演の生中継の録画映像を何回も見直して、拾えた単語や一部の母音、口の動きや歌詞の世界観と照らし合わせた上で意味の通る言葉を考えていたら、わたしはこんなフレーズに行き着いた。
live our lives forever
live our lives…
直訳すれば「わたしたちの人生を永遠に生きる」。意訳すると「自分の人生を精一杯生きる」的な意味かな、なんて。もしかすると「live out」かもしれないと思ったけれど、その場合も「天寿を全うする」と言った意味なので、「自分の人生を極める」という意味では似たようなものかもしれない。(蓋を開けたら全然違うフレーズだったらこの一連の考察を笑い飛ばしてほしい。笑)
彼らはいつも歌の中にたくさんのメッセージをこめている。運良く察することができたものもあれば、まだ気づくことができていないものも、既存曲にだってたくさんあると思う。
2020年に生まれた楽曲というだけで、いつも以上に楽曲が存在する意味の重さを感じてしまうのだけど、ほんの数回聴いただけでこんなに発見が溢れてしまうなんて、音源として手にわたったときにはどうなってしまうのだろう。どういう形で届けられるのかすらわかっていないにもかかわらず、そんなことに思いを馳せてしまったりもした。
そんな衝撃を急に安堵の気持ちに変えてくれたのが次に演奏されたのは、結城公演では「Hello Especially」だった。(中野公演ではこの次の曲と順番が入れ替わっていた、と思ったんだけど結城から次の曲のほうが先だった…かも。記憶があやふやになっていてすみません)
しんたさんが立ち上がり、鍵盤ハーモニカを手にして始まる演奏。この楽曲は10周年を迎えた年に生まれたこれまでの出会いと歩んできた道筋に感謝を示したもの。
「チュルチュ 調子はどうですか?
チュルチュ 忙しくしてますか?」
「長い月日と試行錯誤の中でいろんな景色を見てきたけど
まだ実感はないや でも簡単に思い出せるんだ 君とはしゃいだあの日のことは」
客席を見渡す卓弥さん。結城公演では「はしゃいだあの日のことは」を譜面から溢れんばかりにゆっくりと、まるで語りかけるかのようにこちらに歌いかけていた。
卓弥さんの頭の中に思い浮かんだ景色は、どんなものだったのだろう。そして、いま眼前にある景色はどのように見えているのだろう。ついそんなふうに考えてしまった。
「そして無駄夢中で探し回っていたあの夢の続きを語り合おうよ
明日もがんばろうぜ 今そこにある未来へ 駆け出してさぁ、行こう!」
この歌詞を聴きながら、わたしはReversibleの2日目のさいごにステージ後方のスクリーンに映し出されたこの言葉を思い出した。
“Our journey will still continue”
彼らの胸にはこの言葉がしっかりと刻みつけられていて、そしていまもこの言葉をもって歩みを進めている。
決して予想通りにはいかない世の中。それでも旅路を、未来へ自ら駆け出していくことを諦めない。今回のツアー、ここまでずっとメッセージを発信し続けているなぁ…と、彼らの想いの強さに受け取る方もいっぱいいっぱいながらも、ちゃんと受け取ろうとしみじみ聴いていた。この段階でそんな風に感じながらも、実際終わってみたときにはもっともっと大変なことになってしまっていたのだけれど。
そして次に演奏されたのは、「種を蒔く人」。この曲もまた違った響きに聴こえてしまうのが、いまの時代の異常さを示しているな、と痛感してしまった。
「あぁ!何でもないことが
最高の喜び!
こうして君といつまでも一緒に
いられたらなぁ…。」
「無意識に過ぎてく時間の中で
偶然君に出会った
今ではかけがえのない、必然な
存在に変わった。」
「あぁ!何でもない日々が
最高の幸せ!
そんな風に君といつまでも一緒に
いられたらなぁ…。
そして何でもないことが
芽吹き絡まりあって、
僕らの進むべき道を
作ってくれるから、
行こう。」
卓弥さんがこのステージで歌う「君」の存在。たぶん、愛してやまない「ライブ」な空間のことを指していて、そしてそれは「ステージ」だけでなく「観客」やその人たちから発せられる「拍手」や「声援」すべてを含んだものを示しているのだろうな。公演時間の経過と重ねたラインナップを脳内で振り返りながら、耳に入ってくる音を聞きながら、そんなことをぼんやりと思い浮かべていた。
ちなみにこの楽曲の注目ポイントは石成さんがスライドギターを使う様子。いつもと違った角度から職人のように楽器を操り演奏する様子が見られるのは貴重だと思ったりもした。
(。•ˇ‸ˇ•。)じゃあ後半戦いきますか〜!
みたいな声がけをして畳み掛けるようなラストスパート。ここのラインナップにわたしはもう眩暈がしてしょうがなかった。イントロが始まるたびについうなだれてしまう。それぐらいに予想外な展開だった。
だって、過去ツアーアレンジのリバイバルが応酬するなんて、誰も予想してないじゃない。
トップバッターを切ったのは「アカツキの詩」。卓弥さんの歌としんたさんの優しい鍵盤で先陣を切り、2番から途端にファンキーなサウンドが飛び交うアレンジ。
どう聴いたって「POPMAN’S WORLD」ver.では…!
ちなみに、結城公演と中野公演では、ここのアウトロをステージの上にいる全員が伸ばしたそうにしているような気がしたけれど、年明けから変化していたりするのだろうか。今回アウトロを伸ばすアレンジがそこまでなかったのは、客席が座っていてそして歓声を上げることができないからなのかもしれない。それでも熱を帯びるアウトロに、回数を重ねるごとに増していく熱量の気配を感じ、「ツアーってこういうことだよな」とひさしぶりのわくわく感を覚えた。
一気に盛り上がった空気感でそのままなだれこむ「螺旋」。イントロの石成さんのギターのリフを聴いた瞬間にまたまたわたしは驚いてしまった。なぜなら、「musium」ver.のアレンジだったからだ。
このあたりでわたしはこんな風に思った。
「もしかして、LIVE”a la carte”をやって、過去ツアーのアレンジまたやりたくなっちゃった…?それとも、あのときは入らなかったけどアンケートで好評だった楽曲、アレンジをここで選抜して演奏してる…?」
実際のところは現状ではどうなのかわからない。もしかしたらツアーが終わった後に、教えてくれたりするのだろうか。そんなことに少し期待していたりもする。
いずれにせよ、時空が歪む感覚はとどまるところを知らず、過去の「いつも通り」にライブができていたあの日、楽しかったあのときのステージたちを思い返しながら、時空を超えた旅をしているような気分にさせられた。
「螺旋」終わりでアニキのドラムとまっちゃんのパーカッションの掛け合いが始まり、「何の曲が始まるのだろう?」とワクワクな反面焦らされる瞬間が訪れる。過去のライブの記憶を掘り返すと、こういうフレーズの後には「蝶々ノコナ」みたいなファンクチューンが来てたなぁ…と思っていたらあっという間に曲になだれこんでい…く…
えっ
えっ
信じられないことが起きてわたしは首を垂れるしかなかった。
耳に飛び込んできた音は、どう考えたって「POPMAN’S CARNIVAL vol.1」ver.の「飲みに来ないか」だった。
生でこのアレンジが再び聴ける日が来るなんて思わなかった。わたしは、この曲をLIVE”a la carte”のアンケートの自由記入欄に気持ち悪いほど熱いメッセージを書き記すぐらいこのアレンジが好きで、でもこれが聴けるのはPMSCツアーだからこそで、しかも毎回違うアレンジをするだろうからもう聴けることはないだろう…と諦めの気持ちを持っていた。まあライブ音源として残っているし、いつでも聴けるからね。と。
なのにまた聴くことができた。聴くことができたということは、きっとライブ音源や映像として残るはず。一遍(のツアー)こっきりだと思ってたアレンジがさらに成熟する様子を見届けることができるなんて、年月を重ねることの楽しみを教えてくれる人たちだな。と、しみじみと感じた。
ひとしきり盛り上がったところで、楽器を持ち替えるメンバーもいたりと、少し静寂が漂う空気に「きっとこれは、次が最後の曲なのだろうな」と直感的に寂しさを覚えてしまった。ああ、身体が覚えてるんだな、この感覚を。と自分で自分に驚きつつも。
卓弥さんは、いつものMCのときとはまったく違う、大切なことを丁寧に伝えたいときの声のトーンで、ゆっくりゆっくりと言葉を紡ぎ出した。
(。•ˇ‸ˇ•。)完全な形ではないけれど、こういう形でもライブができるようになってよかった。ぼくたちはみんなに会いたいんです。いままで自分にとって日常で当たり前だと思っていたライブという空間が、こんなにもありがたいものなんだって今回気付かされました。だから今日無事にやることができて本当によかった。ぼくたちは、これからもライブをやり続けたい。そう思っています
( ˙灬˙ )今回はいろいろな事情で「来ない」という決断をした人たちもいる。だからその人たちのためにもずっとやり続けていかないとね
(。•ˇ‸ˇ•。)そうですね
卓弥さんはこのほかにも、こんなことを言っていた。
(たくさんの言葉を話してくれていたので、ニュアンスで「こういうことを言っていたよ」という話にまとめました。本人の口から出た言葉とは少し表現などが異なっていることはご了承ください)
結城公演の前日、会場でゲネプロをした。ゲネプロが終わってホテルの部屋に帰って、その日に演奏した音源を聴きながら不意に「人間ってすごいな」って思ったそうだ。
日本人は、強く決められたことがあるわけでもないのに、自発的に距離を取ったり我慢をしたりしていまというときをじっと耐えることができている。それで世界が回っている。実際に今日も、会場でみんなきちんと決まりごとを守って声を出さずに楽しんでくれている。
そして、いまこの瞬間も人が人の命を助けるような仕事をして、一生懸命頑張ってくれている人たちがいる。そのおかげでぼくたちはこうして生きていられる。
人間ってすごいよね。みんなで助け合って生きているんだよ。そんな風に思ったから、きっとみんなどんなことがあっても絶対に乗り越えることができるはず。ぼくはそう信じてる。
ぼくらも自分の周りの助けたい人を助けて、助け合って、そしてみんなでこの時代を乗り越えていきましょう。そして、またみんなでこれまでのように騒ごうね。
決して澱みなく言葉を紡げていたわけではなかった。あんなに普段のMCでは饒舌な卓弥さんでさえ、感情で語ってはいけないと悟り、じっくりと考えながら、それでいてテンプレートではなく、頑なに「いまの自分の言葉」で届けようと向き合っていた。
そして、「そんなぼくたちの気持ちを込めて、こんな曲を演奏したいと思います」と続け、さいごの曲に入った。
本編さいごに演奏されたのは「SF」。
「音楽にどんな力があるのかはわからない」「いま必要なものなのかはわからない」と言った言葉も先のMCで述べられていた。「でも音楽が好きでライブがしたい」という気持ちが伝わるトークに、この楽曲の世界観と重なるところも感じていた。
とは言え、いまこの楽曲が演奏されるのは苦しすぎやしないか。
SUKIMASWITCHツアーで、日本武道館で「ステージから見ていても思うけど、ぼくたちのライブに来てくれるお客さんは、みんなが音楽を心から楽しんでくれていると思う。音楽って素晴らしいね。これからもみんなと音楽を楽しんでいけたらなって思います」と語っていた卓弥さん。
3.11のときも「ぼくには歌うことしかできない」と無力感を抱いていた。今回も、ライブができない間、音楽を届けられない間、ずっとそんな気持ちを抱いていたのだろうか。そんなふうにずっとずっと苦しいな、とファンでさえ思っていたけれど、こうやって歌で改めて伝えられてしまうとやっぱり苦しい以外の言葉が出てこない。
「君がいる場所にすぐ行けない」
「強い力で君を守れやしない
喜ばせるような手紙も書けない」
無念の気持ちが滲んだ表情を浮かべながら、ひとつひとつ言葉を発する。
すぐに来てくれなくても、物理的には守ってくれていなくても、直接言葉をかけてくれるわけじゃなくても、「歌」と「演奏」でこれだけ人の心に語りかけて、寄り添ってくれているのに。お守りのように大切にしたい楽曲をたくさんたくさん届けてくれているのに。それでも、こんな人にもそんな感情をもたらしてしまうのが、いまの世の中なんだ。
でも、この曲の唯一の救いはさいごのワンフレーズにある。そう思っていたら、裏切らないのがやっぱりいつもの卓弥さんだった。
「何も出来やしない 不思議なポケットなんてないけど
大切な人の涙を僕が 止められたなら
君が いるから
今日もギターをかき鳴らして 歌う」
さいごの言葉の塊を歌った後、卓弥さんはマイクから離れながらも叫びのような、ともすると嘆きにも聴こえるような声を上げた。
彼の想いが、魂のすべてが放たれていたような気がした。
受け取りきることができているのかは、わからない。でも、この会場だけじゃなく、もっとたくさんの人にこの想いを、自分の魂を届けたいんだろうなという気持ちは伝わった。彼から歌を奪うことは、「生きる意義」を奪うことと同義なのだとも痛感した。
「ありがとうございました」の言葉を述べて、一旦ステージから捌けるメンバーたち。本編の感動を声に出すこともできず、ただただ涙を拭きながら、拍手をしてアンコールの気持ちを送った。
そして明るくなったステージ。ツアーTシャツ(この日はネイビーのSmoothie Tシャツ)を着たメンバーが出てきて、「こんな曲を」と言いながら始まったのは「晴ときどき曇」。
この曲は照明演出がとても印象的だった。天を仰ぐとまるで晴天時の広い空の下にいるような柔らかい光。その光は、1曲の中でまるで時間が経過するかのように白い光からだんだんとオレンジがかった色味に変わっていく。まさに「移り変わっていく空の下」にわたしたちはいるのだ。
そしてまた、この楽曲もとてつもなく意味を込めた上で選ばれたのだろうと、卓弥さんの口から発せられる歌詞の一字一句を辿りながら感じてしまう。
「“暑かった日々を忘れないで“と最後の力 振り絞って照らす」
「繰り返さないからもっと この日この時この瞬間
思い上がらずに刻みつけていたいよ」
「やりきれないと逃げ出すことで救われるくらいなら
そんな未来は必要(いら)ない」
「移り変わっていく空の下 僕らいつまでもこの瞬間
抱きしめながら ふたり歩いていこう」
努めて笑顔でふたりとも演奏しているけれど、大好きなステージに立っているいまでさえも、悩んで藻掻いて、たくさんたくさん考えているのかもしれない。それでも「ふたり」だから踏ん張って、助け合って歩を進められているのかもしれない。やっぱり曲を聴きながら、いろんなことを考えてしまった。
アウトロのホーン隊 トランペット田中充さん、サックス本間将人さんふたりの明るい音が唯一の救いのような、充さんのソロパートの優しさがこの曲を受けて考えすぎてしまうポイントを少し和らげてくれているような、そんな風にも感じられた。
アンコール2曲めは「奏(かなで)」。
結城公演では、「遠く君の街へ届けよう」で手を天に向かって差し出していた。その姿はまるでこれからの旅路の安全を祈るかのような、ツアーの成功を神様に願うかのような、そしていまここにはいない、自分の歌を届けたい人たちに向けても自分の声を捧げようとしているかのような、いろんな風に想像ができてしまった。
2020年2月28日の配信ライブのときから新たな意味合いが加わってしまったようなこの曲。スキマスイッチとわたしたちの間の「重ねた日々」は、明るい未来への架け橋となってくれるはず。
「君が僕の前に現れた日から
何もかもが違くみえたんだ
朝も光も涙も歌う声も
君が輝きをくれたんだ
抑えきれない思いをこの声に乗せて
遠く君の街へ届けよう
たとえばそれがこんな歌だったら
僕らは何処にいたとしてもつながっていける」
ちなみに、わたしが足を運んだ公演の中では中野2日目にここのセットリストが変わっていて、選ばれていた曲は「藍」だった。
「飛ぶ鳥は
大空を迷うことなく飛べるのに
いったい僕らは
どこへ向かうんだろう」
「どうかいなくなれ
こんなんなら存在自体よ消えちまえ
そう思ってどのくらい経つだろう
来週はいつ会えるんだろう」
やっぱりSmoothieで歌ってる「君」って「ここ」のことだよね。この2曲がさらにそれを裏付けてくれたような気がした。
曲終わり、アンコールさいごのMCが始まる。ここもまた、本編ラストのとき同様、考えながらゆっくりと言葉を発する卓弥さん。
(。•ˇ‸ˇ•。)アンコールありがとうございます。拍手しかできないけど、みんなの気持ちは伝わっています。ステージにいると、気持ちがこもった拍手とそうでない拍手はわかります。みんなの気持ち、すごく伝わってきた
2020年12月の公演なので、雲行き怪しくながらも二度目の緊急事態宣言はまだ出ていなかった頃だ。
「正直なところ、ツアーを全部きちんとやれるのかもわからない」という旨を語るところから始まり、ライブをやること、ツアーとして回ることへの想いを語っていた。「ぼくらにできることは気をつけながら回っていくこと」。そのあとに述べたのが冒頭に記した衝撃的な言葉だ。
「歌う場所が奪われて、自分の存在意義が否定されてしまったような、生きている意味なんてないんじゃないかって思ってしまうようなときもあった」
「音楽ってみんなの生活には必要のないものなのかもしれない。そんな風に考えてしまうこともあった」
言葉をかけることができる関係性ではそもそもないのだけど、それでも「かける言葉が見つからない」という表現しか浮かばなかった。
わたしたちにとっては、2020年2月からいまに至るまでの日々は「娯楽を奪われた日々」なのかもしれないが、彼らにとっては「生きる手段を奪われた日々」であり「やりがいや生きがいすらも奪われた日々」だったのだ、いや、むしろそれはほぼ現在進行形で続いているのだ。彼ら以上にそういう日々を未だに送っている人たちだって、たくさん存在する。そういう危機感を、音楽を娯楽として愛する立場の人間ももっともっと持つべきなんだ、持たなくてはならないんだ、「音楽を止めるな」とかかつての流行りものと語呂合わせをしたような呼びかけをする以前に。(取り組み自体は素敵なものだと思うし賛同もしている。ただ、言葉あそびに乗っかるだけでなく、もっと当事者意識を持つべきなのだ、という意味で)
決死の覚悟で決行しているツアー。世間全体から見たら、さまざまな意見が飛び交うのだと思う。実際にファンの世界でもいろいろな意見が垣間見られる。
でも、それでも彼らが動くということは、動き続ける側の道を歩んでいきたいと自らの意思で選んだからに違いない。きっと。
「だけど生き様を 選ぶのは自分だ」
思わずゲノムのこの歌詞のフレーズが浮かんできてしまった。スキマスイッチは、本当に等身大で歌詞の世界を描き、嘘のない人たちなのだなとも痛感した。
「また声を出せる日が来たら、みんなで騒ごうね」
こう述べ、すぐに始まったのは包み込むような優しいオルガンのメロディーから始まる「あけたら」。始まった瞬間、「ああ、この曲演奏してしまうんだ」と正直なところ思ってしまった。ステージが再開しても、厳密に言うとこの夜は明けていないから。
でも、この日のふたりが語ってくれた言葉と、言葉にせずともステージ全編で見せてくれた想いを受け止めた上で耳に入り込んでくる「あけたら」の歌詞は、これまでプレイヤーから流れる音源とまったく違ったものに聴こえてきた。
苦しさを感じられる歌なことは間違いない。でも、これまで言葉にできずにいた、この曲を聴いたときの心に漂うほんの少しの柔らかな気持ち、そして心があったかくなるような感覚は、この曲の中に「希望」があるからだと、答えをもらったような気がした。
このステージで、たくさんのリバイバルなアレンジをしてくれてノックしてくれた「心の奥の扉」。甘酸っぱさも切なさもたくさん感じた。でも、悪い気はしないどころか、たまらない気持ちになった。
「あけたら あけたら
押し潰されそうになって眠れない夜もある
あけたら あけたら
躓いたっていい 一歩ずつだっていい
その先で待っている 聴こえる希望の歌」
「あけたら あけたら
必ず君を真っ先に迎えに行こう
あけたら あけたら
いつものように 二人乗りして
一緒にまた あの海まで
ふざけあって 笑い合って 小さな幸せを歌う 君への歌」
このツアーは、いつものライブな空間(君)をあけたら真っ先に迎えに行くためのものなのかもしれない。二人乗りするのだって、ひさしぶりにいきなり乗せたら互いにバランスを崩して転んでしまうかもしれないよね。とっておきのコースだって、誰も走らずにいたら荒地となってしまって、行きたいときに歩みを進めることができなくなっている可能性すらある。だから、そこにいつも通りの世界が存在しているのかを確かめるために、たまには出かけようって飛び出してみたのかもしれない。
その道は、放っておいたら誰かが舗装しておいてくれるかもしれないけど、自分の目で確かめたい、自分の足で踏みしめたい、なんなら自分たちの手でメンテナンスをしたいと思うのがスキマスイッチなのだ、きっと。この1曲を聴きながらそんなことを感じてしまった。こんないろんな考えを張り巡らせてしまうぐらい、楽曲から発するパワーが凄まじいのも、スキマスイッチのすごさだ。もしかすると勝手にこっちが考えすぎてるだけで、「全然違うよ」って思われてるかもしれないけどね(そもそもこの勢い余って書いた文章が本人たちに届くことはないのだけど。笑)。
曲が終わり、深々と頭をさげたふたり。ステージから捌けるときに卓弥さんは「行ってきます!」と大きく手を振ってくれた。
この文章を書いている時点ではまだ現在進行形なツアー。見送った以上、「ただいま」って帰ってくる日まで動向をしっかりと見守っていたいなと思う。どうかどうか、無事に終わりますように。彼らの笑顔が、絶えることなくさいごまでSmoothieのストーリーを届けられますように。ひたすらそれを祈り続ける2021年1月です。
#ちなみに、アンコール終了後に「会場出たら忘れてね」と言われるサプライズな出来事が起きるのが今回のツアー。常にやっていることではないということもあり、あんまり公になる場に残してほしくなさそうなので、詳細は割愛しますが(ツアーが終わったら時効になるかな…笑)、いつもの「君」の顔を知っている人たちへの配慮も感じられる試みでした。彼らはやっぱり優しい。人間っぽさに満ちあふれているなと思うばかりでした。